公共の音楽ホールに反対する理由

ミナトは、公共の音楽ホールの存在に対して、反対の姿勢を取っています。

どういうことか、少しご説明させてください。

ご利用者様の視点からすると、安く借りられてラッキー、という感覚だと思います。利用料金が安く済めば、たくさん気軽に練習できるから利用者にとってはありがたいでしょう。ただし、いいことは、利用者が安く借りられる、「それだけ」です。

本来、何万円もするホールが格安で借りられるとなると、そのホールに利用客が集中します。そして、まじめに何千万円も何億円もかけて音楽ホールを建造し、借地であれば家賃を払って運営している音楽ホールの経営が成り立たなくなります。

ファーストフード店の横で10円で全く同じハンバーガーを販売しているのを想像してみてください。ほどなくそのマクドナルドは倒産してしまうでしょう。これは、完全に「公共」と名がつくだけの営業妨害です。 一般的なよい音楽ホールの企業努力を一切無にする存在、それが公共のホールなのです。


実際、これらの公共ホールの存在のせいで利用者が減り、どんどん音楽ホールがつぶれてきており、音楽家達の演奏する場が消滅してきています。しかし有料のコンサートはこういった公共の音楽ホールでは行うことが出来ません。音楽家は、音楽ホールでしかほぼ演奏することが出来ません。

つまり、音楽家は無料で演奏するしか道がなくなってしまい音楽家はお金は得てはいけないということになります。プロではなくなればいい音楽を提供しようという気持ちが萎え、音楽のレベルが下がります。音楽家という職業の存在すら危うくなります。

さらに言うと、有料の音楽教室の発表会にかかわらずそれを隠して音楽ホールをレンタルする例が多く後を絶ちません。自分が元生徒だったので知っているのですが、超大手、といわれる音楽教室においても、このようなことが平然と行われています。ホール側もチェックが適当で、非常に多くの有料の発表会が、こういった公共の場で当然のように行われている実態があり、きちんとやっている教室側が虐げられる、これもまたおかしいことです。


このように、公共のホールの存在は、

メリット:利用者が安く使える

デメリット:一般的なピアノ教室が不当に利用したり、公共の施設に利用が集中し通常の音楽ホールが経営が成り立たなくなりつぶれる→音楽家がホールで演奏できない→音楽家という存在自体が脅かされる

このような連鎖をとめたいので、公共のホールを作るお金があるくらいなら、もっと他のことに使っていただきたいものだ、と常々思ってしまいます。ミナトが、わざわざ非常に高価なサントリーホール等で発表会を行う理由のひとつには、回りまわって音楽家の活動活性化につながれば、という意図もあるのです。